リュータ★ミュージック&ファンタジー

リュータ魂!

YouTube(リュータ /Game & Music Studios)をうp主がまじめに解説した裏ブログです

失われた「小さな家」

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「あなた」という歌をご存知でしょうか?

 

1973年当時、高校2年生であった小坂明子さんによるフォークソングです。名曲中の名曲なので、ご存知でない方は、まずはじっくりとお聴きいただきたい。

 

www.youtube.com

 

いかがでしたでしょうか?

 

ぼくはこの70年代のフォークソングなるものがとても好きで、有名なのは「神田川」でしょうか? ほかにも「太陽がくれた季節」「東京」「シクラメンのかほり」「あずさ2号」など、名曲がとても多い。

 

その特徴は……、まず一聴して「暗い」。

 

いや、ぼくは今の音楽にはない、その鬱屈したような、そしてまだ貧しさが至る所に残っていたであろう昭和の東京の片隅に、もたれかかったような暗さにひかれているのですが、この「あなた」という曲はちょっと違う。

 

「もしも私が家を建てたなら、小さな家を建てたでしょう」

 

そう穏やかに語りかけてくる、この曲の出だし。とっても明るいのです。変ニ長調の、どこかロマンチックで甘い調べ。

 

しかし元来、暗い音楽を好むはずのぼくが、どうにもこの明るい曲には心惹かれてしまう。

 

そして、しばらく聴き通して…

 

…この曲が秘めている、いや、歌い手本人も自覚していないであろう異様な暗さに気が付いた瞬間!

 

思わず、ゾッとして……、そして涙が頬を伝わるのを感じました。

 

 高校生の少女が授業中にノートに、ふと書き記した詞から生まれたこの曲。

 

時は昭和。この素朴でどうにも頭の片隅に残ってしまう「もしも私が家を建てたなら」のフレーズに続く「小さな家」とは、今どきの収納が工夫されている白くて垢ぬけた都市型新築住宅とはだいぶ趣は違うのだろうとは思う。

 

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どうにもわからないのは、この歌に登場する「私」は、なぜ小さな家にあこがれたのか? そして、どうしてそれが当時の人々の共感を得られたのか?

 

調べてみると、小坂明子さんは兵庫県西宮市の出身。都会です。

 

父は指揮者であり編曲家。母はイギリス人とのハーフというのだから、なんとなーく西宮七園の文化的な邸宅で育ったお嬢様であったような気がする。

 

その甲斐あってか、他の同世代のフォークソングの、寒村から東京下町に出てきた学生が、四畳半の畳の間で鬱屈した日々を送っている貧乏くささとは一線を画した憧憬が、この小坂明子「あなた」の持ち味となっています。

 

真っ赤なバラ、白いパンジー、小さなドア、ブルーの絨毯、古い暖炉、子犬、手編みのレース…

 

「あなた」の詞に登場する「小さな家」の数々のパーツは昭和の若者にとって、テレビの向こうのあこがれの生活だった。

 

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ほかの70年代フォークソングが「リアルなぼくたち」であったとすれば、小坂明子「あなた」は、手を伸ばせばもう少しで届きそうな「新しい僕たち」であった。

 

失恋ソングは古今東西あまたある。小坂明子「あなた」もそのうちの一つに過ぎない。

 

しかし、当時大ヒットしたと記録されている背景として、自分たちを縛ってきた伝統的な日本の家族像からの解放があったのかもしれない。

 

すなわち「小さな家」とは核家族のことなのでしょう。

 

核家族とは、今の時代では当たり前の、おじいさんやおばあさんとは別の屋根の下で暮らす家族形態を意味します。

 

サザエさん的な親世帯と子世帯が同居する、プライバシーのない大所帯を伝統的な日本の家族とするならば、小坂明子「あなた」で歌われる「私」と「あなた」の「小さな家」は、核家族=ニューファミリーの手本であった。

 

洋風の白い家に似合う「真っ赤なバラ」。「ブルーのじゅうたん敷きつめ」たのは、さしずめ日本家屋の必須アイテム・畳(たたみ)への当てつけでしょう。

 

そして、なるほど昭和の家の幅広い引き戸に比べると、モダンな住宅の玄関はまさしく「小さなドア」だ。

 

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ペットショップで購入する「子犬」も新しい家族像の象徴です。ニューファミリーは決して家畜の鶏の鳴き声で朝、目覚めたりはしない。

 

「レースを編む」余裕があったということは、当時は女性のキャリアよりも専業主婦になることが、より一般的な幸せとされていたのかもしれない。

 

なんのことはない。プライバシーもなく抑圧的である家父長制的な家族像(ようはリアルな磯野家)と決別した、新しい理想の家庭を夢見ていたけど「あなた」は去って行ってしまったという失恋ソングと片付けてしまえば、それまでのことです。

 

ならばなぜ、この令和の世にあって50年近くも昔のヒットソングが異様な悲しみをたたえているように聴こえるのか?

 

…それは「小さな家」という一見ささやかな幸せさえ、今の日本人にとってかけがえのない、そしてますます失われていく遠き夢であることに、薄々気づいてしまっているからではないでしょうか。

 

赤いバラは洒落たフラワーショップで手に入るようになった。気に入ったナチュラルテイストの家具をその場で購入できるカフェだって珍しくない。なんなら部屋の壁紙はその日の気分で好きな色に張り替えたっていいのです。

 

…けれども「あなた」は? 「あなた」はいったいどこにいってしまったのか?

 

どんなに物質的にめぐまれても、きらびやかな都会にいて自由で快適な生活をおくれても、「私」は玄関のドアを開ければ…

 

…「ただいまー」「おかえり」と。

 

奥の薄暗い台所からにおいと共にコトコトという音が聴こえてきて、寒い家の中でひとつのコタツに家族大勢で肩を寄せあって、手を伸ばせば届くところにミカンが置いてあって…

 

…そこに本当の「小さな家」があったのだと、いつか思い知らされる日がくるような気がしてならない。

 

ひとりスマホ越しにSNSで聴く「あなた」が異様な悲しみをもって聴こえるのは、果たしてぼくだけでしょうか?

 

 2019年も終わりに差し掛かった現代。

 

 たとえ向こう数年の間に今の官製バブルがはじけて未曽有の大恐慌が襲ってこようとも、ぼくたちの生活はより物質的に豊かに、快適に、安全になり、そしてより自由に自分らしく生きられる世の中になっていく流れは変わらないと思う。

 

将来はAIやロボットがあらゆる富を生産してくれて、量子コンピュータが画期的な新薬などを次々と開発してくれて、人間は働かなくてよくなるという人は大勢いる。ぼくも、ふと「そうなのかもな」と思うこともある。

 

そして自分の気持ちに妥協することなく、自分の今だけを大切に、自分の好きなものとだけつながって生きていくことができる世界が、すぐ手の届くところに待っていてくれるのも、わりと信じられる未来です。

 

けれども、その代償はだれも語ってくれない。

 

女も男も解放され、自分は自分。みんなが少しずつ我慢を持ちよって成り立っていた、かつての美しい時代、美しい国、美しい家…

 

我慢する人がいなくなる未来。

 

いったい、そこになにが待ち受けるのか? ぼくにはちょっと想像がつかない。

 

願わくば、もしもひとりの高校生が「小さな家」を建てたいと願えば、それを叶えられる世であってほしいなと思います。

 

 

 

五輪マラソンより「君の名は。」「天気の子」のほうが東京の宣伝になる件

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さすがにどうかと思った…。

 

 

news.nifty.com

 

東京の夏の猛暑を理由に、いまになって五輪の花形競技であるマラソン競歩の会場を北海道の札幌に移すという話。

 

本州の夏の暑さ(日本の場合、単に気温が高いだけでなく湿度も高い)を考えれば仕方がないよなーと思う。現実的な判断だよね。

 

けれども、ぼくにはこれが五輪の終わりの始まりに思えてならない。

 

IOC国際オリンピック委員会)はアリの一穴を開けてしまったな、と。

 

考えてみてください。

 

日本で言えば、夏季五輪を開催できるインフラと財政力をもった大阪と名古屋は、東京に負けず劣らずの蒸し暑さです。

 

いや、日本に限らず経済発展著しい東南アジアの例えばクアラルンプールにしたって、オイルマネーで潤う中東諸国にしたって、東京をも上回る酷暑、蒸し暑さを誇る。

 

今回の五輪開催都市でありながら花形のマラソンを召し上げるという措置は、悪しき前例となる。

 

ぶっちゃけ、東京もマラソンをできないとわかっているのであれば、立候補しなかったのでは?

 

ぼくはオリンピック中継なるものに特段の思い入れはないけれど、開催都市の観光名所を巡りつつ競技が行われるマラソンこそがハイライトなのは容易に想像がつきます。

 

また、高額で高倍率なチケットに当選しなくても、その都市の住民が多く沿道で一体感をもって観覧できるという意味においても、やはりマラソンこそは夏季オリンピックの花形であると思う。

 

街並みの世界配信という宣伝効果においても、市民とイベントの一体感という面においても、やはりマラソンこそがシンボルであり、もっともビジュアル的に映えるでしょうから。

 

世界の都市は、当然、今回のIOCによる東京への仕打ちをみている。

 

土壇場になってシンボル競技であり、最もその都市の宣伝効果の上がるマラソンを取り上げるようなことをすれば、東京に近い夏の気候をもった都市は五輪開催都市として手を上げるのをためらうようになるでしょう。

 

そもそも、東京の夏の気温、湿度など、IOCは開催都市の選定段階でわかっていたはず。

 

まさか東京の「晴れる日が多く温暖でアスリート に最適な気候」なんて悪質マンション業者のような売り文句を本気で信じたわけではないでしょう。

 

東京しかなかったんです。

 

巨額の開催費用を賄える財政力、成熟したインフラ、社会安定性。

 

言い方を変えれば、東京はまだ他の手を挙げた都市に比べて「マシ」だった。

 

しかし、今回の件で巨大なイベントを開催できる能力を持った数少ない都市であるはずの東京ばかりか、それに続く同じ酷暑のアジアの成長都市をも袖にしてしまった。

 

となると、いったい夏季五輪を今後開催できる都市はどこなのだろう? と調べてみると、案の定、2024年パリ、2028年ロサンゼルスという欧米の大都市でした。

 

しかもこれも、裏を見てみると、「パリやロスを選んでやった」のではなく、「パリとロスに逃げられたら、もうお終い」と言わんばかりに、2024年の開催候補地決定の際に、唯一残ったパリとロスのどちらも当選にしてしまった。

 

だって「パリとロサンゼルス以外、みんな辞退してしまった」のだから。

 

www.bbc.com

www.nhk.or.jp

style.nikkei.com

 

今回のマラソン会場を東京から札幌に移す報道やネットの反応を見てみると、IOCの上から目線による一方的な決定や、日本関係者の不手際、それどころか「非合理的な判断を押し通そうとした日本の国民性の第二の敗戦」のような論調が見受けられるけども、実態は違うと思う。

 

ほかならぬIOCにしても苦渋の決断のはず。

 

これは「アスリートファースト」などと言いながら、欧米のオールドメディアと腐れ縁になっている商業オリンピックが、行きづまりをみせていることの象徴でしょう。

 

ご存知ない方のために「そもそもなぜ7~8月に開催なのか?」という点に軽く触れると、9月、10月はアメリカでアメフトや野球が最も盛り上がるシーズンだからです。そしてIOCの収入は放映権料が大半を占め、なかでも米NBCが大口のスポンサーだからです。


www.tokyo-np.co.jp

 

「なら、マラソンは夏ではなく冬のオリンピックの競技にしちゃえば?」という考えが浮かぶ人もいるでしょうが、すでに述べたように「シンボル」であり「ビジュアル・プロモーション」でもあるマラソンがなくなった夏季五輪に立候補する都市などありはしないでしょう(夏季の開催費用は冬季よりもはるかに巨額)。

 

また「都市開催に無理がある。サッカーのワールドカップのように国単位の開催にすれば?」との声もあるけど、それも無理な話でしょう。

 

五輪に含まれる競技は世界的に人気のサッカーと違って、ほとんどがとても収支の上がらないマイナースポーツばかりです。そのための施設を「五輪開催期間のためだけに」整備しなければなりません。

 

となれば、経済合理性に基づき、「マイナーなものでもこれだけの人口と市場規模があれば、少しはたしなむ人がいるだろう」と思われる大都市にレガシー(遺産)として集中せざるを得ないのは仕方のないところ。

 

それだけに、今回の東京への仕打ちは本当にいたたまれない。

 

 少なく見積もっても2020・TOKYOには1兆3000億円もの開催費用がかかるそうで。「アスリートファースト」の一言で済む金額なのでしょうか? 警備費用だけでも1600億円!? それだけ金があったらなにができる? そんなにスポーツはエライのか?

 

news.line.me

 

なにより、東京でこれまで準備してきた人たち、2013年に決まったときから沿道で声援を送る日を、一流のアスリートを間近で見れる日を楽しみにしていた人たちの想いも踏みにじることになる。

 

アスリートも一人の人間、そして様々な形でこのビッグイベントに関わる人たちもまた一人の人間です。それでもなお、「アスリートのため」の五輪だというのであれば、もう「アスリートのため」だけに1兆円も5兆円も(ロシアのソチ五輪はかかったらしい)かかるイベントなど終わりにしてしまえ!と思う。

 

と、そんなふうに考えていたときに、ふと頭に浮かんだのが東京を舞台にした映画「天気の子」の美しい名シーンたち。

 

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 ……。オリンピックのマラソン中継などより、よほど東京の景色を美しく、そして色濃く世界中の人の印象に刻むのでは??

 

 

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さいわいにも、「天気の子」は海外でも好評のようで。

 

newsphere.jp

 

しかも新海誠さんは、東京都に頼まれたわけでもなく、勝手にこのような素晴らしい映画を世界に向けて作ってくれるわけです。いったい、これほどコストパフォーマンスに優れた、都市宣伝媒体がほかにあるでしょうか?

 

そしてこういう民間の文化的な自発性による発信力こそが、東京本来の強みであり、ソフトパワーなのではないでしょうか?

 

おそらく今回、東京にオリンピックを誘致しようと懸命だった人、東京に決めた人、そして今になって札幌に移した人。いずれもが、過去のオリンピックの権威とノスタルジーは夢みても、「アニメなど子供のための夢物語」として一蹴する世代の人だったのでしょう。

 

ネットで各々が興味のあるものをみるのではなく、国民全員が一丸となってお茶の間のテレビで同じものを見て盛り上がる。そんな失われたユートピアを信じて…

 

いまや日常を生きる一般人の一人一人がフォトグラファーであり、映像配信者となる時代です。

 

オールドメディア、利権、ハードパワーの象徴ともいえる五輪など、そもそも今の東京には必要ないし、下手な皮算用をしながら招致する必要などもなかったのではないでしょうか?

 

しかし、そのようなことは一般市民はみなわかっているのです。わかっていないのは決定権をもった旧世代(あえてそう言わせてもらいます)だけで。

 

オリンピックのあまりにもバカバカしいほどの巨額の開催費用に、誰も納得しなくなった。ましてやこれからの時代、テロ対策の警備費用もさらにかさんでいくことが見込まれる。

 

日本ダメ、アジアダメ、中東ダメ。先進国の財政はどこも逼迫していて、市民の意識も高く、目が厳しい。

 

東京、ドーハと同じく2020年の五輪に立候補した都市のひとつ、イスタンブールのトルコは今なにをしているか? シリアに軍事侵攻しています。

 

同じく東京と競ったスペインのマドリード。財政悪化、潜在的な経済危機で共通通貨を持つEUを揺るがしています。

 

世界的な経済、世情不安の中、事実、2032年以降のオリンピックは完全に視界不良でしょう。本当に立候補する都市はなくなるのでは?

 

そういうときこそ「平和の祭典」を高らかに謳いあげる五輪の本領を発揮して世界平和に、ぜひ貢献していただきたいものですが、おそらくは銃で撃ち合う「eスポーツ」を正式種目に採用して、若者の関心を取り込もうとするぐらいが関の山でしょう。

 

時が移り、もしIOC国際オリンピック委員会)が次に東京に開催を打診してきたら、東京はこう言ってやればいいのです。

 

「けっこうです」、と。

 

攻略動画はむずかしい ~ドラクエ11Sネタバレ動画騒動で思うこと~

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先日、ついにDQ11sが発売されましたが…

これまで「ドラクエ11PS4版)」「ポケ森」「ビルダーズ2」「マリオメーカー2」とやってきましたが、ゲームの発売直後は、ぼくにとって鬼門なんですよね…

 

まったく流れに乗れない。

 

他のユーチューバーの方が、どわーーーって堰(せき)を切ったように動画をアップする一方、ぼくは何もだせないからねえ。そしてコメント欄で「動画出さないんですか?」と言われるまでがお約束(^◇^;)

 

おそらく投稿、配信者はみんな徹夜上等、食事もほどほどに死に物狂いでプレイしている中、ぼくは発売日の次の日に家族でカツ丼を食べに行きましたw

 

あと、どっぷりとゲームを楽しんじゃってる。

 

動画の早期アップのためにスピード重視でプレイすることは一切なく、ドラクエで言えば律義に町の人にもれなく話しかけてセリフを堪能。ツボ割り、タンス、本だなチェックもかかさずに、風景を楽しみダンジョンもノロノロとさまようという、ゆるーいプレイスタイルを貫いております。

 

そもそも、今だってドラクエ11s、まだ全然クリアしてないのにこうしてブログ書いてるからねw

 

まー、DQ11sでいえば、PS4版のときの「ふっかつのじゅもん」を使っての中盤スタートで、しばり無しでガーーーっと進めたほうが動画投稿勢としてはいいんだろうけど、それはやりたくない。ドラクエで遊ぶの好きだし。

 

けっきょく、これはぼくのスタイルであって、どれが正解ってことはないんだけど、自分自身がゲームを楽しまないと、いいアイデアは出てこないと、ぼくは思う。

 

ビルダーズ2に関して言えば、ぼくが動画を出せたのは発売から10日後で、数字を稼げる攻略、隠し要素、裏技系の動画には一切のれなかった。

 

でも、結果的には好評をいただいている「世界の果てまでレッツビルド」は、ゲームを本当に楽しんでプレイしていなかったら、生まれなかったシリーズだと思う。

 

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で、ぼくにとって大事なのは「せかビル毎回楽しみにしてます!」って人や、「ビルダーズ動画でリュータさんを知りました。面白かったので、他の動画もみてます!」って人、「リュータさんの影響でマリオメーカーも買っちゃいました!」って人たちなんですよね。

 

そういう「リュータの動画はアップされたら全部みる」って言ってくださる方が、およそフツーの人のゲーム進行ペースではあり得ない勢いで攻略動画をみせつけられる羽目になったら、どう思うんだろう??

 

それは本当に申し訳なくて仕方がないです。申し訳ないし、再生回数という見た目の数字がどんなに取れても「ブランド(信用)を捨て、目先の利益に走る」というだけで実質マイナスですよね。

 

一方で、発売直後にいち早くネタバレ動画出して見に来てくれる数万、数十万の人って誰?? って話なんです。そのゲーム遊んでるの? 次も来てくれるの?

 

だから、発売直後の攻略動画は難しいよなーって思っています。。逆にそこばっかり意識して保守的になり過ぎると、新しいお客さんを取り逃がすことになるしね。そのバランスがね…

 

今回はぼくとしては異例のスピードで(発売から6日後)ドラクエ11sの動画を出せたけど、いつもぼくの動画をみてくれてる方が、あまりみてくれてないなーって感じがしますね。。

 

それは表立って見える再生数の話じゃなくて、再生後の動向をみての実感です。あと、再生数のわりに登録者の伸びが異様に鈍い。

 

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これでも、上記のことを踏まえて「攻略動画だけど、情報抜きでも楽しんでいただける仕上がりに!」ってことで、がんばったんだけどね……。

 

けっきょく、「先を見るのが楽しみ」ってゲームでは、なにをやっても人によってはネタバレだしね。。

 

そんなことを考えている中、昨日ついにスクエニ社様からお達しがでました。

いわゆるドラクエ11sで大量に流れ出た「ネタバレ動画」に対する警告です。

 

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ぼく的には、かなり好意的に受け止められる内容でした。

 

動画投稿のガイドラインを設ける意図をはっきりと記していて、自由な動画表現をできる限り認めたいという考えも明文化してくれている。

 

…けど、他人事とは考えられません。

ガイドラインを守っていればいいという話ではなく、そもそもどこまでが「ネタバレ」かは人によって感じ方に幅があるものですからね。

 

今回の通達は「ムービーシーンだけを見せることを目的とした動画の禁止を改めて確認」なんだけど、任天堂様のガイドラインにおいてもはっきりとこう記されている。

 

お客様ご自身の創作性やコメントが含まれた動画や静止画が投稿されることを期待しております。お客様の創作性やコメントが含まれない投稿や任天堂のゲーム著作物のコピーに過ぎない投稿はご遠慮ください。

ネットワークサービスにおける任天堂の著作物の利用に関するガイドライン|任天堂

 

つまりムービーシーンじゃなければ「可」ってことじゃないよね?

 

他のライバルを出し抜こうと、ただただスピード優先でプレイを取って出したような動画は著作物のコピーに過ぎないので、遠慮してくださいということ。これはモラルの問題だね。

 

ドラクエ12のときはどうなるのかなー? って、今から心配ですね…

 

…それ以上に思うのは、「もうドラクエ12からはクリアの概念自体を取っ払ってみては?」ってことです。

 

これは注文とか、提案なんてエラソーなものではなく、ひとりのドラクエファンとしての期待です。そういう新しいドラクエをやってみたい。

 

「マインクラフトをクリアした」って言う人、あまりいませんよね?

 

いちおうあれ、ジ・エンドに行って「エンダードラゴン」を倒せばクリアで、エンドロールも流れるんだけど、マイクラの動画で求められてるのはそういうのじゃないよね? ネタバレ云々の考え方もない。

 

「ストーリーのあるRPGとマイクラなんかを一緒にするな!」って、おじさま方から怒られそうですけど、そうかなあ?

 

人気のある限りアプデの続くソシャゲなんかも考えると、いわゆる「クリアというゴールのあるゲーム」ってすでに圧倒的少数派(プレイ人口比)のような…

 

伝統的なタイトルの一つである2D版の「スーパーマリオ」シリーズにしても、もう、クリアのある本編がマリオメーカー以上に求められることはないんじゃないかなあ? って気がします。

 

いま、クリアのあるゲームで最も人気があるものというとUndertale(アンダーテール)が思い浮かぶけど、あれも前回の記事で書いた「ナラティブ」要素あってのゴールの価値の気がするし…

ゲーム実況動画「やるゲーム」「やらないゲーム」の差 - リュータ魂!

 

ぼくが思うに、今の時代にあって、ドラクエの弱点は「ゴール」が見え過ぎちゃうことだと思うんですよね。

 

ビルダーズ2にしても、公式が「(アプデは)これで最後」を宣告するたびに、ガクッ!ガクッ!ってファンコミュニティが縮小するのを実感してしまいました…

 

ドラクエ12も10のようなオンラインにしろ! って言ってるんじゃないんです。

 

もう重厚長大なストーリーやムービーのような、よほど好きでなければ「一度見れば終わり」って部分に力をいれても、それに見合うだけのリターンは得られないようにゲーム業界を取り巻く環境が変化していると、傍(はた)からは見えるんです。

 

そして、その手のリニアなゲームほど大規模化が進んでいて、一本クリアするのに100時間でしょ? まあ、制作側も「一度見れば終わり」を自覚しているからこそ、その「一度」を大量に詰め込んでるんでしょうが、それはもう限界でしょ。

 

これ以上やったら、制作側もプレイヤー側も疲弊してしまう。…もう、してるかもしれませんが。。。

 

ぼく、世界的に名高い「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」は最高に評価しているし、2017年のGOTY(ゴティ→ ゲーム オブ ザ イヤー)なのも十分納得ですが、実はクリアしてないクセに最高に持ち上げています。それでも、あの世界が好きで通算100時間以上プレイしてるけど。

 

べつにクリアする必要ないと思っています。世界各地のシーカータワーやほこらを探して巡る。その未知で自由で孤独で危険な冒険が最高に楽しかった!以上。それでじゅうぶんでしょ?

 

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いまでも、ゼルダBotWの世界にたまに「イン」すると、景色を眺めたり走り回るだけでもそこそこ楽しめるんだよね。ここまでの感覚はそれまでのゼルダにはなかったし、プレイした人ならわかってくれると思う。クリアしてなくても語っていいと勝手に思っています。

 

ペルソナ5にしても、ドラクエとはまた違った形で、よくまあストーリードリブンのターン制コマンドバトルを飽きさせずに、それと感じさせないように作っていて、これまた最高のゲームの一つだと思ってるけど、これも未クリアですw

 

でも、すっごい面白かった。プレイ済みの人にわかるように言うと、鴨志田と班目はクリアしました。

 

ペルソナっていうと「UIがオシャレ」とかよく言われるけど、それ以上にストーリーがよくできてると思ったね。キャラも含めてリアル。いわゆる「おとぎ話」的な「そんなキレイゴトじゃ世の中まわんねーよ!」といった解決はないし、語尾がいちいち変な話し方を「キャラが立ってる」とか思っちゃってそうな雰囲気もない。

 

世界観(ふんわりとした「らしさ」ではなく、キャラの考えや行動に矛盾が無いということ)をとても大事にしているのがわかる。

 

これは時間があったらクリアしたいけど、100時間はちょっとね…ドラクエ優先なんで!

 

なんていうのかな。ゲームって、そのゲームシステムの本質を楽しめれば、もうそれで終わりにしちゃっていいんだと思う。クリアまでする必要はない。やり続けることもない。

 

そりゃそうでしょ?クリアまで100時間もかかるようなボリュームを当たり前にされたら、そりゃ、ゲーム売れなくなりますよ。ゲームは「ゴール」とか「クリア」を感じさせない方がいいと思う。その義務感がもう負担になっている。

 

…まあ、いまさらこんなこと言ってる時点でぼくも、もう古いんでしょうけどね。

 

「誰でもクリアできるように」って原理原則のあまり、本来のゲーム性、冒険(自発性、スリル、自由!)を損ねてまで簡単にするのではなく、クリアできなくても楽しめる、満足感の得られるドラクエを次はやってみたいかな!

 

 

ゲーム実況動画「やるゲーム」「やらないゲーム」の差

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この記事のタイトルはTBSテレビ「この差って何ですか?」のパロディみたいなものですが、内容はかなり真面目なものです。

 

ぼくのYouTubeチャンネル「リュータ /Game & Music Studios」においても、コメント欄などでたまに「~~のゲームやらないんですか?」「~~やってください!」と言われることがあります。

 

ご期待いただくのは大変にありがたいことであり感謝しているのですが、なかなかお答えすることができないので、この場をもってその事情を書かせていただきます。

 

あらかじめ言わせていただくと「再生回数の取れるゲームを優先してやる」ということでは必ずしもないのです。まだすべては公表はできませんが、これからぼくが取り組もうと予定しているゲームの動画はいずれも再生回数で苦戦することを覚悟しているものばかりです。

 

逆に再生回数がとれそうでも「やらない」ゲームはあるわけです。

それでは…

 

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■ゲーム会社様のポリシーにつきまして…

やるゲーム→

一般プレイヤーの動画投稿へエールを送り、公式に感謝を表明しているゲーム

やらないゲーム→

動画編集の禁止ルールが多いゲーム

 

「は? ゲーム動画に感謝を表明してるゲーム会社なんてあるんか?」とお思いでしょう。あります。以下にその一部を紹介します。

 

任天堂株式会社様

 

任天堂は当社が創造するゲームやキャラクター、世界観に対して、お客様が真摯に情熱をもって向かい合っていただけることに感謝し、その体験が広く共有されることを応援したいと考えております。」

ネットワークサービスにおける任天堂の著作物の利用に関するガイドライン|任天堂

 

■Mojang様(マインクラフトの制作会社)

 

「当社のすべてのゲームは、当社および当社のコミュニティにとって非常に重要です。つまり、多くのお客様が、当社ブランド、および当社のゲームに関連するものを使用してクールなことを行いたいと考えています。当社はこのことを喜ばしく思っています」

 

「お客様は、当社のゲームの映像を YouTube またはその他の Web サイトに投稿することができます。実のところ、当社はお客様がそうすることを希望しています。」

Mojang Account

 

もちろん、これらの会社はYouTubeニコニコ動画のクリエイター奨励プログラムなどで収益を得ることの許可を明文化しています。

 

またドラクエビルダーズシリーズに関しても、明文化はされていないものの、公式放送でプロデューサー様から動画投稿などのファンコミュニティにかなり前向きな発言をいただいております。

 

このように公式に表明してくださることは本当にほんとうにありがたく、安心してゲーム動画を面白くすることに専念できます。

 

ここでひとつ知っておいていただきたいことがあるのですが、それはYouTubeチャンネルは、視聴者のみなさまが想像しているよりも不安定で赤子のように弱く、ゲーム会社様が考えておられるよりも一本一本の動画を我が子のように大切に思っているということです。

 

ユーチューバーという人種はリスナーの方のことを大切に思っている人ほど、応援してくださる皆さまを不安にさせる情報を発信しないものです。けれども、その裏ではチャンネルを存続させるために、常に危機感をもって「守る」ための努力をしています。

 

そうした中で、繰り返しになりますがゲーム会社様が「応援」「感謝」を公式表明してくださることは大変な安心感につながり、その企業のゲームの動画を作りたくなるものなのです。

 

一方で「動画編集への禁止ルールが多いゲーム」とはどういうものでしょうか?

 

これは逆で、そのゲームの動画を作りたくなくなるものです。

 

動画とは、シナリオ、映像、音声、効果など、あらゆる表現技法の複合体であり、「面白い動画をめざす」ということは、それぞれの表現を追求し、有機的に結びつける大変に複雑な作業です。これが構成、編集というものです。

 

そうしたときに画像や音声の取り扱いで「これをしてはならない」「いけない」といったお達しがガイドラインに含まれていると、動画を作る側としては委縮(いしゅく)してしまって、はっきり言えばヤル気が無くなります。

 

そして動画のデキは納得のいかないもの、歯に衣着せたような中途半端なものにしか仕上がりません。これでは「できるだけ面白い動画をみてもらいたい」という、動画制作者の希望にもそぐわないものとなります。

 

実際にはゲーム会社様もガチガチに規約の順守を押し付けることはなく、ケースバイケースで判断してくださるとは思うのですが、前述のようにチャンネルはゲーム会社様の訴え一つで「吹けば飛ぶ」ものなので、鉄のよろいを着込むつもりで守らなければならない実情があります。

 

また、余談ですがチャンネルを「守る」という行為は、他の動画投稿者、配信者への動向、圧力にも常にアンテナを張ることも含まれています。

 

たとえばAというゲームがあり、他の動画投稿者、配信者の動画がゲーム会社様からの訴えで削除される事案が散見された場合、まず削除された理由を調査します。

 

そしてその削除理由がわからない場合、また推測される削除理由が動画制作者として首をかしげざるを得ない場合、そのゲームの動画を自分自身が投稿する際も「大変危険である」と判断するほかない事情もあります。

 

これは他の投稿者、配信者の方への迷惑にもなるので具体的に「どのゲームが」「誰が」といったことに触れられませんので、ご了承ください。

 

一言で言うと、一般動画投稿者とゲーム会社様の間には対話、協議、意思疎通の場がまったく存在しないので、お互いに過剰に防衛意識が働いているのだと思います。

 

そうした中、可能な限り動画制作者を信じ、表現の自由を認めてくださったゲーム会社様に感謝します。たいへん微力ながら、すこしでもゲームの楽しさ、素晴らしさを広めるお手伝いをさせていただければと考えております。

 

文化とは安寧の世であるからこそ、花開き、咲き乱れるものであります。信頼関係のある場にこそ、人は集まり、文化はより発展するものであると確信しています。

 

 

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■ゲーム性につきまして…

やるゲーム→

自由度が高く、プレイヤーの数だけドラマの生まれるゲーム

やらないゲーム→

与えられたストーリーをなぞるのが主で、誰がプレイしても結果に差がないゲーム

 

これは誤解してほしくないのですが、動画としてやらないゲームがイコール「つまらないゲーム」「時代遅れのゲーム」と言っているわけではありません。

 

ただ、誰がプレイしても映像、シナリオ、結果といずれも差の生じないタイプのゲームは、ぼくの動画に向かないということです。

 

この手のタイプのストーリー体験ゲームは、やや専門的には「ストーリードリブン」と呼ばれていて、基本的には任天堂様「以外」のJRPGなど日本のゲーム会社様が得意としているところです。

 

誰が動画を作っても同じ内容になりがちな以上、動画投稿が速く頻度が高い実況者様の独壇場であり、後発となる当チャンネルの席は無いと考えています。

 

ぼくのストーリー動画に期待してくださっている方には大変申し訳ないのですが、これも試行錯誤の上に身をもって導き出した結論であります。ごめんなさい。

 

またこのストーリードリブン型のゲームは前述の投稿動画に対するゲーム会社様の姿勢にも表れていて、ガイドラインで禁止事項が多くなり表現規制が強くかかる傾向にあります。

 

これはごく自然なことで、ストーリードリブンのゲームは「ゲームは映画と違ってインタラクティブ(双方向性)だ!」といくら言ったところで、企業様の用意された「出来上がった物語」であることには変わりはありません。

 

ゲーム機の性能が向上し、ゲームプレイの幅、ネットワーク性が格段に広がったゲームが氾濫する現在、このようなストーリードリブンなゲームの主体は、プレイヤー自身ではなくゲーム制作者(とくに監督)であるという見方もできます。

 

当然その用意された映像(シナリオ、音声、演出)をそのまま体験してほしいというゲーム制作者(=主体)の意志は強くなるのですから、これは批判ではなく、そういうものなのだと受け止めるほかありません。

 

 

反対に「~~クラフト」「~~ビルダー」「~~メーカー」といった作る系ゲームの類は、プレイヤーごとに新しい映像が生まれるといいますか、動画としての違いが際立つので、付加価値をだしやすいです。

 

これらのゲームは「ナラティブ」と専門的にはよべます。

 

ストーリードリブン型とナラティブ型はゲーム用語ではなく、どうやら企業のブランディング(企業のお客に向けたイメージ戦略)の場においても使われているようです。

 

signal.tokyo

 

上のブログではこう書かれています。

 

「いまは情報過多かつ生活者が企業の発する情報を厳しい目で見ている時代ですから、出来上がった物語を企業が用意すれば喜んで受け取ってもらえるわけではなくなってくるのも自然なことです。」

 

けっきょくのところ、任天堂様やマインクラフトは「ナラティブ型」のゲーム会社であるといえます。

 

一方で、「こういうご時世だからゲーム配信してもいいけど、できればゲーム中のセリフをそのまま棒読みする程度に抑えてほしい」という意識のにじみ出たガイドラインのゲームは「ストーリー型」なのでしょう。

 

どちらが良い言うことではなく、ぼくの動画制作、投稿スタイルからして、どう考えても「ナラティブ型」のゲームのほうが向いているので、そちらを優先的にやりたいというのが今の気持ちです。

 

次にぼくがアップする動画は「マリオメーカー2」になる予定です。

 

これはぼくにとって新しい試みであり、成功するかどうかはわかりませんし、未開拓のところからはじめるので再生回数もとれるとは思いませんが、それでも「ナラティブ型」のゲームを伝えるチャンネルとして新たな一歩を踏み出したいと思っています。

 

ゲーム動画投稿を認めてくださるゲーム会社様、そしてぼくの動画を楽しみに待っていてくださるリスナーの方々。いつも当チャンネルの活動にご理解いただき、ありがとうございます。

 

ゲーム文化の楽しさ、素晴らしさを共に広げていきたいです。これからもよろしくお願いします<(_ _)>

YouTubeチャンネル登録者3万人の意味と決意

おかげさまで4月15日にチャンネル登録者が3万人を超えました。ありがとうございました。

 

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正直、あまり実感がありません。

 

チャンネル登録者、再生回数、コメント数、高評価数、収益…これらは、ぼくにとって画面上の「数字」でしかないのです。お金にしたって使っていいわけではないので、チャンネル登録者が3000人だった1年半前と比べて何かが変わったわけではないのです。

 

実のところ、特にチャンネル登録者数はそんなに重視していません。もちろん増えるとうれしいし、ぜひ登録していただきたいのだけど、ユーチューバーにとってチャンネル登録者の規模は世間体みたいなものだと思う。言ってみれば見栄。名誉。

 

というのも、YouTubeを研究、観察していて思うのだけど、チャンネル登録者が多いからと言って必ずしも再生回数に結びついていない実情があります。チャンネル登録者が20万人、30万人といても、新作動画がぜんぜん再生回数伸びない人、少なからず見かけます。

 

思うに、チャンネル登録者数というのは国家に例えると国土、つまり領土の大きさみたいなものだと思う。確かに、支配領域が広く人口の多い国は文字通り「大国」として見なされるし、過去の栄光の遺産ではあるのだけど、現在の国力とイコールではない。

 

日本国の最大版図は第二次世界大戦中、満州から東南アジア一帯を支配した1942年のものになるのだけど、筋金入りの軍国主義者でもない限り、この時代を日本の最盛期、最も幸福だった時代などと考える人はいないでしょう。

 

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実際のところ、企業案件で動画を作る場合、その報酬はチャンネル登録者数に比例するようなのだけど、そもそも、その査定方式自体がどうなのかな?と思う。

 

これまた余計なお世話になるのだけど、チャンネル登録者数が数十万いっているユーチューバーの案件動画でも、再生回数が2万もいかない…っていうの、ありますよね。

 

代わりに、ぼくがもっとも重視している指標、それは「1動画あたりの平均再生回数」です。

 

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http://www.tuber-town.com/channel_detail/UCEo77uc6-3OwaxTkQK6g4mg.html

 

この表は「チューバータウン」というサイトのもので、ぶっちゃけ獲得金額とか年収はまったくのデタラメなんだけど、この「1動画あたりの再生回数」を確認するためだけに、このサイトをチェックしています。

 

これまで動画を92本以上アップしてきて、その平均の再生回数が8万回を超えている。これは本当にうれしいことです。それだけみられているということです。ありがとうございます<(_ _)>

 

この「1動画当たりの再生回数」は国家に例えると「国民一人当たりのGDP」つまり、その国の国民の豊かさや生活水準をあらわしているものに相当すると考えています。

 

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Visualizing Economics

 

上のデータは、ヨーロッパ各国の「一人当たりの」GDPの推移です。緑が濃いほうが生活が豊かな国で、赤が濃いほうが貧しい国と言えます。

 

一般的にイメージされるヨーロッパの大国と言ったら、ドイツ、イギリス、フランス、ロシアでしょうか?

 

けど、こうしてみると真に豊かなのはそれら大国よりも、スイスやオランダ、ベルギー、デンマークルクセンブルクといった小国であることがわかります。大国の中でも植民地を除いた本国の面積が最も小さいイギリスが豊かであるのもまた、その通りです。

 

念のために言うと、「総再生回数」(総生産)よりも「平均再生回数」(生産性)こそがチャンネルの評価として大事だと考えています。「それはない。総再生回数やチャンネル登録者数こそ、チャンネルの実力の証明だ」と普通は考えられているのは承知の上でのことです。

 

それと同じで、一般的にGDPはその国の国力の指標として使われていると思います。ニュースをよく見る人なら、この「GDP」(国内総生産)はよく耳にするのではないでしょうか?

 

ぼくも前回のブログ記事でGDPをデータとして用いました。

 

ryuta16.hateblo.jp

 

今現在、日本のGDPは世界3位です。もともと2位だったものが2010年に中国に抜かれました。これから、日本のGDPの世界シェアはジリジリと後退していくのは避けられないでしょう。

 

けれども、これをもってイコール日本の衰退、国力の弱体とするのは違うと思うのです。

 

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Visualizing Economics

 

上の図は過去500年の世界の主要地域のGDPの推移です。先ほどのヨーロッパ地図は「一人当たりの」GDPだったのに対し、こちらは「総」です。国家の総力の相対的比較です。

 

注目していただきたのは、19世紀、1800年から1850年のグラフです。これは多くの人にとって、かなり意外なデータだと思います。

 

この時代、世界の覇権を握っていたのはイギリスです。産業革命を世界に先駆けて達成し、アヘン戦争で中国を、そして東インド会社を先鋒として広大なインドを植民地化していった頃のものです。

 

けれども、GDP=国力の指標と考えるならば、まったく矛盾した話になります。当時、イギリスやフランス、ハプスブルク帝国などを含めた今でいうEUに匹敵する西ヨーロッパのGDP合計よりも、中国わずか一国のGDPのほうが上回っていたのだから。

 

これは歴史をまじめに勉強した人ほど、勘違いしやすいはずです。イギリスというGDPすなわち経済規模で劣る国が、巨大なGDPを誇る中国(清)、インド(ムガール帝国)を侵略し、大英帝国を形成したというのがイメージと真逆の実態なのです。

 

そして当時の清という中国の王朝にとって「我こそは世界最大最強の最も豊かな大帝国である」というのもまた、嘘偽りない本気の自己評価だったのでしょう。

 

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今でこそ、ぼくたちは歴史という結果を知っているから当時の中国を低く見がちですが、あの時代は西洋人も「正攻法で対峙したら、とても中国には敵わない」と考えていたのかもしれません。

 

事実、先進国イギリスはGDPで中国にはとても敵わないのはもとより、産業革命後も対中貿易で巨額の赤字を計上し続けていました。だから麻薬であるアヘンを国家ぐるみで密輸するなどという、チートに手を染めたのです。

 

「いや、イギリスは本国だけで計上すればそうかもしれないが、カナダやオーストラリアといった広大な白人植民地もあったじゃないか」と考える人もいるでしょう。

 

たしかに、カナダやオーストラリアは地図で見る限り、領土の広い大国ですが、実のところ、カナダの人口は1800年の時点で推定50万人、1850年の時点でも250万人程度と大変少ないものでしかありませんでした。オーストラリアにしても20万人から60万人に過ぎません。

 

なお、一方の中国は当時から3億、4億もの人口を抱えていました。

 

けっきょくのところ、人口とか、GDP(=経済規模)とか、地図上の領土の広さといった目に見えるわかりやすい指標ほど、当てにならない。少なくとも、その国の将来の繁栄を保証するものでは何らないということです。

 

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 タイタニック号で撮影された写真は、最後の日々がどんなものだったのかをとらえていた

 

 20世紀初頭。上の写真は映画にもなった悲劇の豪華客船タイタニック号の中にあった、一等船室の客のみが利用できるフィットネスジムの様子です。100年以上昔のものですが、すでに電動の乗馬マシンなるものはあったようです。

 

この上級国民のみが利用できる最新鋭のフィットネスジムにさりげなく飾られているこの地図。

 

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インド帝国、カナダ、オーストラリア、ケープ植民地(南アフリカ)、西インド諸島が黒く塗りつぶされているあたり、大英帝国の領域を誇っているのでしょう。そして、中国までもが黒線で囲われているあたり、大方かつての獅子、中国も今や我が支配下とでも悦に浸っていたのでしょうか。

 

この時代まで下ると、イギリスの覇権はより明確になっていました。

 

今、ぼくたちの生きる21世紀初頭はアメリカの覇権を強く実感します。GAFA(ガーファ)と呼ばれるアメリカの巨大IT企業。すなわち、GoogleAppleFacebookamazonの4社。

 

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日々、グーグルのサービスで知と情報を得て、iPhoneを使ってインスタグラムをチェックし、アマゾンで買い物をしていると、本当にぼくたちの生活を支配されているなと嫌でも思い知らされます。これら先進分野で日本はもう到底、アメリカや中国には追いつけないのではないかと考えてしまいます。

 

そもそも、ぼくごときが、こんなことを知りえて、こうして情報発信できるのも、すべてグーグルやマイクロソフトのおかげと言っても過言ではありません。

 

けれども、もしかして100年後に歴史として21世紀初頭を振り返ったとき、「あの時代こそがアメリカと中国が斜陽に差し掛かった時期だ」という、リアルタイムで生きている者からしたらおよそありえない評価が下されているかもしれない。

 

今から100年前の20世紀初頭、イギリスは基軸通貨ポンドを持ち、7つの海の制海権を持ち、世界の電信ケーブルの80%を握っていた。

 

すなわち、工業製品というハードウェアの競争力はアメリカ、ドイツの後塵を拝するようになったが、世界の金融、通信、海運といった情報・物流プラットフォームで圧倒的なシェアをもっていた。なんだ、今のアメリGAFA帝国とまったく同じ構図じゃないか。

大英帝国を支えた「19世紀のインターネット」 – 『海洋帝国興隆史』 – アゴラ

 

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(1901年の海底ケーブル網 Wikipediaより)

 

けれどもその後、タイタニック号は沈み、イギリスも沈んだ。

 

歴史上最大の支配領域、先進情報分野でのプラットフォーム支配、その強さが伝説化していた陸海軍をもってしても、歴史上のどの帝国もたどった衰退の道から逃れることはできなかった。

 

 数字は正直だと言います。データこそ正義、結果は数字に表れる。けれども数字というのは、ある一定のルールの下で計測されたものに過ぎません。

 

最近はECI(経済複雑性指標)なるものがあり、これは簡単に言うと、どれだけ高度で真似しがたい希少性の高い製品やサービスを輸出しているかを数値化したものだそうで、なんと日本は2000年以降、16年連続でこのECIで世界一の座にあるそうなのです。

 

boxil.jp

 

ぼくの好きな歴史に絡めてお話ししましたが、要は一般的に最重要視されているYouTubeの「チャンネル登録者数」もまた極めて一面的な指標でしかなく、何らチャンネルの将来と実力を保証をしてくれるものではないということです。

 

GDP、支配領域の広さ、経済情報シェアといった各種わかりやすい指標でハイスコアを叩きだした大帝国ほどガンガン次の時代で負けてきたように…

 

ぼくが最重視している「1動画当たりの再生回数」にしたって一面的な指標でしかありません。本当はYouTubeを学問として研究してくれる人がいれば、もっとそのチャンネルの実力や将来性を数値化できるようになるのかもしれませんが…

 

もうひとつ、これら見栄えのする数字のワナや歴史から学べることとして、偉大さやメンツ、誇りを守ることを最優先に掲げて動いた国家は、必ず国民一人一人を不幸にするということです。

 

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チャンネル登録者数や再生回数というのは誇らしく思うものであってはならないのだと思うのです。

 

もちろん、ぼくだって他のユーチューバーとの数字の比較は気になりますし、良い数字が出たときは誇らしい気持ちになりたいことだってあります。

 

でも、本当はチャンネル登録者数や再生回数というのは、まず自覚するべきものだと思うのです。

 

考えてみれば、3万人の登録者、平均8万人の視聴者数ともなると、その中には本当にいろいろな背景と日常を背負った人たちが含まれていてもおかしくないのですから。

 

昨日みたNHKのネタドリ「貧困から抜け出したい~子ども支援の現場から~」では、両親の離婚から貧困にあえぐ中学生が登場していました。

 

それに比べると、ぼくは何とまあ恵まれていることだろうとかみ締めると同時に、その中学生のノートを映した映像に胸を打たれました。

 

少年ジャンプのヒロアカっぽいキャラクターを描いた絵が、なんとまあうまいこと。

 

リアルがどんなに悲惨でも…いや、悲惨だからこそ二次元、ファンタジーの世界への想いが強くなるのでしょう。

 

ぼくのゲームの動画をみたところで、リアルが救われるなんてことはありえません。…でも、ひとときの楽しい夢の世界へ逃避したい気持ち。それに答えることならば、少しばかり役に立てるかもしれない。

 

3万人、8万人の中には、いろいろ事情があってゲームを買えない、でもだからこそ、あこがれの目をもってゲームの動画を楽しみたいという人だって大勢いるはずだ。

 

…そう、ぼくの画面には数字としてしか表れないだけであって。何の実感もないだけであって…

 

大勢の、さまざまな背景をもった人に見られていることを自覚し、ぼくは、その数字の向こうにいる見えない誰かに向けて…

 

これからも楽しく明るい動画を作っていきたいと思います。

 

 

なぜ「ドラクエは海外で売れないと作れなくなる?」かわかるデータ

去る9月23日、東京ゲームショウ2018の会場にてスイッチ版「ドラゴンクエスト11S」が発表されました。

 

ぼくも「ドラゴンクエストニュース(DQN)」と銘打って動画を展開している以上、当然のことながら、この話題をいち早く動画として完成させ、投稿したかった。

 

けれども、ぼくが動画をアップすることができたのは、それから一週間以上たった10月2日のこと。この間、なにがあったのか?

 

こんな騒動が飛び込んできました。

 

jp.ign.com

 

世界最大のゲームメディア「IGN」の日本版がドラクエ11開発者への単独インタビューをおこなった際に飛び出したスクエニ岡本Pの発言「海外で――ある程度でもいいですけど――売れてくれないと、もうドラゴンクエストは作れなくなっちゃう」

 

どういう背景があるかというと、ゲームに求められる規模、映像クオリティ、仮想世界の作り込みのハードルは年々上がる一方。当然、開発費もうなぎのぼりで、これまでのように国内の売り上げだけでは回収できないということがあるようです。

 

ドラクエファンとしてはかなり衝撃的な発言だったことでしょう。しかし、後日、言った本人の岡本ドラクエ11プロデューサーはこの発言が誤解を招くものだったとして、以下のように訂正しています。

 

「海外で売れないと次作れないかもというのは海外版の話のつもりでした…! 国内が厳しいというわけではない」

 

ドラクエファンとしてはホッとしたところでしょう。「そうだよな、ドラクエ11だって300万本も売れたのに、次が作れないなんてことがあるわけがない」

 

ぼくもそう思います。ドラクエ人気はかつてほどではないでしょうが、30代、40代の大人を中心に根強いものがあります。これほどの人気タイトルが作れなくなるわけがない。

 

ただし、今後、ドラクエは次の2つの道のうちから、一つを選ぶことを迫られるでしょう。

 

A:日本の誇る大作ゲームとして、史上最高、最大のRPGの姿を追い求め続ける

B:かつてのファンに向けて、規模を縮小しながら「懐かしのRPG」として生き残る

 

言い換えれば、海外で売れないと…、Bの道を選ぶしかない。ドラクエに自身の古き良き子供時代の追体験を求めている筋金入りのドラクエ世代の大人は「むしろそのほうがいい」という人も多いと思います。

 

ただ、現時点でスクエニ社がAの道を捨てることはないと思われます。現状、同社のドラクエ部門のほとんどの利益を稼ぎ出していると思われるソシャゲ「星のドラゴンクエスト」の人気も、本編のブランド力があってのことです。本編が特定世代の懐古需要に寄り添いながら細々と生き残っても、会社としてはドラクエIPが生み出す売上を大幅に減らすことになるのだから、そんなことを今から選択する経営判断はありえないでしょう。

 

つまり、前述の岡本Pの発言は、「海外で売れないとAの道は捨てるしかなくなる」という意味でとらえればいいと、ぼくは考えています。

 

気になる方は、今回の発言の大元のインタビュー動画をぜひ、みていただきたいと思います。(話題の発言は3:48~)

 

youtu.be

 

ぼくは、この話題を自分の動画に取り込むかどうか本当に悩みました。もともとの「ドラクエ11S」で発表された内容が「しゃべるのS」ぐらいしかなかったこともあって、なにか他にネタを盛り込まなければならない。

 

ただ、ぼくの動画はドラクエのファンコミュニティです。ドラクエファンが見て楽しい気分になる動画を目指しています。「お父さんや小3の妹と一緒に家族でみています!」という人もいます。その中で、こういうファンが不安になるような話題、それも言った本人が訂正している話題を取り上げるのはさすがに憚(はばか)られました。

 

結果的に「ドラクエ11Sは最後のS」というテーマで動画が完成したのですが、これでも、相当にぶっこんだ内容にしたつもりです。「これまでのドラクエはこれで終わり。ドラクエ12からはゲームシステムを刷新した、新しいドラクエ本編がはじまるよ」と言っているのだから。

 

youtu.be

 

反発、拒否反応が多く来るのは覚悟の上でしたが、ふたを開けてみると、想定よりもそういった反応は少なかったです。もう詳しくは言えませんが、内部的にネガティブなデータは「まったく」でてこなかったです。

 

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また、表から見えるデータとしても、荒れる内容にもかかわらず動画の低評価が他の動画に比べて極端に多いわけでもなく、動画公開から日が経つにつれドラクエ世代の大人と思われる方から「ドラクエ変わらないでくれ」といった趣旨のコメントも多くいただくようになりましたが、この動画1本のコメント数が900を超える中、想定以下の数で落ち着いています。

 

 

そして、ぼくはコメント返信において「動画をみてくださったお客さんの声を尊重する」という考えのもと、基本的に頂いたコメントに対する反論などは極力控えているのですが、今回に限っては、ぼくの意見を曲げずに真正面から書かせていただきました。

 

それだけ、ぼくの中で「ドラクエは岐路(きろ)に立たされている」という危機感が強いからです。非常に大事なことなので、ドラクエファンの方にもできれば共有してほしい問題として、やっぱり考えているのが本音だからです。

 

ドラクエのいま直面している岐路とは、さきほど紹介したAの道とBの道です。

 

動画では直接的にはいいませんでしたが、なんとなく伝わるようには紹介したつもりです。

 

ドラクエおなじみの「たたかう」→「こうげき」→「スライムベスに10のダメージ」というシーンの映像の後に、ゼルダ最新作の映像を流したのはそういうことです。

 

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ドラクエではただの背景でしかなかった崖の向こうの遠景に飛び立っていける様子。さらにそこからシームレスに崖の下の岩山に飛び移れる様子。夕日の照り映る川面に流されるまま滝から落ちたのちに、滝登りで爽快に自然に立ち向かう様子。

 

そしてこれらの一連の流れがまったく破綻なくゲームシステムとして成立していて、しかもプレイヤーに複雑な操作を強いることもない。だれでも簡単にこういった次元で仮想世界の中に存在することができる。

 

これをみて、ドラクエを買い支えてくださっている「ゲームはドラクエしかしない人」にも感じ取ってほしかった。

 

これをもって「ならゼルダやれば?」で済ませるのは、つまるところ「B」の道を選ぶということです。それはただの意固地だと思います。

 

スクエニ社はドラクエをAの道にすすめるでしょうし、ぼくも一人のドラクエファンとして、ドラクエにはAの道を立派に歩んでほしいと思っています。

 

それに大多数のドラクエファンも「A」の道に進んでほしいと思っているのではないでしょうか?少なくとも、10万再生以上をいただいた動画の反応を見る限り、ぼくはそうであると思っています。

 

最後に、ドラクエを取り巻く環境が変わったことを示すデータをとりあげましょう。

 

1988年。ドラクエ3が記録的な大ヒットを飛ばし、社会現象にもなった年の世界のGDP国内総生産=その国の市場規模の目安にもなる)の分布はこのようになっています。

 

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この年、G7(先進主要7か国)だけで世界のGDPのおよそ7割を占めていました。(右側の灰色の丸はその他のすべての国です)

 

この先進主要7か国とは、つまるところ19世紀から続く列強の面々です。

 

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上の写真は有名なもので1900年に清(中国)で起きた義和団の乱を鎮圧した列強の兵士の合同記念写真です。

 

左からイギリス、アメリカ、イギリス領オーストラリア、イギリス領インド帝国、ドイツ、フランス、オーストリア・ハンガリー帝国、イタリア、日本。

 

せいぜい、イギリス(大英帝国)とオーストリア(ウィーンで有名)が没落して、日本とアメリカが躍進したぐらいで、これらの国々が世界の富と市場の大半を牛耳っている構図は、わりと最近まで変わっていなかったのです。

 

そして、次にドラクエ6が発売された1995年。

 

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なんと日本は首位のアメリカ(7.66兆ドル)に迫る(5.33兆ドル)をも記録しています。これは大変にすごいことで、ドイツ、フランス、イギリスと比べても日本は2倍以上の規模です。列強7か国とその他の世界の比較で見ても、相変わらず列強は金持ちクラブとして世界のGDPの66.1%をも占めていました。

 

実のところ、この時代、日本のGDPはほかのアジア諸国、つまり中国、香港、台湾、韓国、インドネシアシンガポール、インド、サウジアラビアなどなどをすべて足したものよりも、まだ大きかったわけです。今となってはまったく信じられないことですが。

 

そして、ドラクエが生まれ、人気を博していき、もはや昔話の中でしか語られない日本のゲームメーカーが世界を席巻していた時代というのは、こういう世界の中でも巨大な日本市場という基盤があってはじめて成立していたものなのです。

 

ひるがえって、現代はどうなっているでしょうか。

 

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19世紀以来の伝統的な旧帝国主義7か国の占める比率は45.9%にまで下がりました。それも内訳をみると、アメリカ(17.35兆ドル)が大部分を占め、日本(4.6兆ドル)はその4分の1の規模になってしまいました。

 

そして、その他の国(灰色)で示された最大の丸は言うまでもなく中国です。いや、中国に限らず世界の国々は21世紀に入り大きく成長しました。

 

これはゲーム業界という以前に、数百年に一度の歴史上とてつもなく大きな変化が起こっているわけです。

 

ドラクエは日本のGDPに歩調を合わせるように、おおむね300万本~400万本の売り上げという横ばいで推移していますが、いまとなっては「300万本も」じゃなくて「300万本しか」です。

 

いま、世界のゲームシーンを席巻しているのは、この21世紀になって巨大化した市場で売れているゲームです。1000万本以上も売れるゲームが続々と登場している背景は、この成長した世界の市場です。

 

そこで得られた巨大な利益をテコに、さらなる技術の研究開発を進め、ゲーム性と仮想世界の作り込みのクオリティのハードルを上げ続けています。

 

日本のゲームメーカーでみても、ゼルダ、モンハン、マリオ、FF、ポケモン、ダークソウル、スプラトゥーンなどなど、世界市場で1作あたり500万本~1000万本売れているシリーズはけっこう出てきました。

 

ドラクエ11の300万本~400万本クラスというのは、実のところスクエニ社内でも同じ開発部署の「ニーアオートマタ」と同じ規模でしかありません。ドラクエ11のほうがだいぶ開発費がかかっているであろうことを考えると、その利益への貢献度は推して知るべしです。

 

そして特に気を留めなければいけないのは、この傾向は一時的なものではなく、これからさらに加速する現象であるということです。

 

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主要国のGDPをグラフ化してみる(最新) - ガベージニュース

 

こうしてみると、日本は1996年と2013年を境に大きくGDPを減少させていることがわかります。上のグラフは2022年までの予測も含まれていますが、拡大する一方の中国、アメリカ、インドなどの市場の成長に比べて、まことに残念ながら引き続き日本市場の相対的地位が下がるのは避けられそうにありません。

 

つまり、このまま日本市場に特化したゲーム作りをしていれば、ますます海外のAAA(トリプルエー)と呼ばれる超大作ゲームプロジェクトとの資金力の差は、取り返しのつかないところまで広がることでしょう。正直、もう待ったなし、限界だと思います。

 

だけれどもぼくは悲観していません。動画の中で解説したように、ドラクエ11こそ小学生ユーザーが多い3DS版に合わせる形で「これまでのドラクエ」を踏襲したものでしたが、スイッチが小学生に普及した今、もはや3DSで再現できるゲームにこだわる必要はありません。

 

次は、おそらくドラクエ11開発前から構想を練っていたであろう次世代ドラクエを世界に向けて発信してくれることを、ぼくは期待しています。

21世紀を揺り動かすユーチューバーの正体

あれは一昨日だったか。夜の報道番組で北朝鮮の話題を取り上げていました。

 

核問題?拉致?

 

いえいえ、違います。主役は「ユーチューバー」です。

 

なんでも、いま世界中のユーチューバーが北朝鮮に「観光客」として押し寄せているらしい。目的はもちろん北朝鮮の様子を撮影し、動画にしてアップすること。

 

そこは「無法者」の集まりのYouTube。彼らは「ここは牢獄のようだ」と本音で語り、さらにはガイド(北朝鮮の観光はガイドが必ず付き添うらしい)に北朝鮮では禁止されているK-POPを強引に聴かせるなど、やりたい放題。

 

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しかし、意外にも北朝鮮政府は、この外国から来た怖いもの知らずのユーチューバーたちの振る舞いを黙認しているらしい。事実上の経済封鎖をされている北朝鮮にとって、海外からの観光客は唯一残された合法的な外貨獲得手段だからです。

 

つまり双方がウィン・ウィンなのです。北朝鮮政府にとっては観光客誘致につながり、ユーチューバーにとっては再生回数を稼げる。

 

ぼくはこの様子を見て「これからはユーチューバーの時代だ」と素直に思った。

 

19世紀は「ネイボブ(植民地インドから富を持ち帰ったイギリス人成金)」の時代だった。今は、そんなこと誰も知らない。20世紀はテレビで活躍した「映画俳優、ミュージシャン、スポーツ選手」の時代だった。いずれ、そんなことはみな忘れてしまうかもしれない。なぜなら、21世紀は「YouTuber」の時代だからだ。

 

それをいうと、「YouTubeなんてすぐに飽きられる」とか「YouTubeなんかでは生活できない」とか反論する人が大勢でてくるでしょう。

 

いや、稼げるとか飽きられるとか、そういう話ではないのだと思う。

 

大局的に見れば今、YouTubeで起きていることは、一時の流行の類ではない。「メディアの民主化」です。

 

これまで歴史上、ありとあらゆるものが民主化されてきました。政治や農地、教育といった貴族の独占物だったものは言うに及ばず。音楽だってもともとは宗教であり、貴族だけがたしなめるものだったのです。民主化以前は。

 

そしていま、大資本の独占物であったメディアが雪崩を打ったように民主化の波にのまれている。

 

そうしたときに、やれ「YouTuberの年収は?」とか「案件動画1本いくら?」とか「チャンネル登録者数は?」といった下世話な数字だけでYouTubeを語るのはどうなのだろう?と思う。

 

「ユーチューバーが1本の動画で世界を変える」

 

そういった現象が21世紀のどこかで起こるかもしれない。今はまだ信じられないかもしれない。でもいつか、きっと起こる。そう、かつて若いロックミュージシャンが反戦平和を訴えて世界を動かすなど、誰も信じられなかったことのように。

 

ぼく自身、これまでチャンネル登録者数とか収益とか再生回数とか、数字の話をしてきたし、事実、それを目標にしていた。数字は誰にとってもわかりやすいし。

 

でも、ユーチューブとはそれだけじゃないと思う。金を稼ぐことが最終目的ではない。政治的にしろ、文化的にしろ何かしらの使命感を持った人間にとっての可能性の場としてのユーチューブがもっと注目されてもいいのだと思う。ユーチューブは就職先ではない。もっと大局的に見なければならない。これはメディアの民主化なのだから。

 

とある毎日投稿系のユーチューバーが動画の中でこう言っていました。

 

「ユーチューバーと名乗っていいのは、ユーチューブだけで食べていける人だけだと思います。チャンネル登録者数xx万人を超えて、はじめてユーチューバーになれた気がします」

 

まあ、それも一つの考え方だけど…それだけでもない気がする。

 

一方で、ぼくも自問自答していかなければならない。ぼくにはYouTuberとして、何か使命があるのか?……

 

それでも、良識派を自ら名乗る大人ほど、YouTuberを低く見たがるでしょう。悲観論ばかりでYouTuberの将来を語るでしょう。だからこそ、信じられるのです。

 

昭和30年代、良識派の顔をした大人ほど北朝鮮を「地上の楽園」と讃え、多くの在日朝鮮人や日本人妻を地獄に送ったのだから。