おかげさまで4月15日にチャンネル登録者が3万人を超えました。ありがとうございました。
正直、あまり実感がありません。
チャンネル登録者、再生回数、コメント数、高評価数、収益…これらは、ぼくにとって画面上の「数字」でしかないのです。お金にしたって使っていいわけではないので、チャンネル登録者が3000人だった1年半前と比べて何かが変わったわけではないのです。
実のところ、特にチャンネル登録者数はそんなに重視していません。もちろん増えるとうれしいし、ぜひ登録していただきたいのだけど、ユーチューバーにとってチャンネル登録者の規模は世間体みたいなものだと思う。言ってみれば見栄。名誉。
というのも、YouTubeを研究、観察していて思うのだけど、チャンネル登録者が多いからと言って必ずしも再生回数に結びついていない実情があります。チャンネル登録者が20万人、30万人といても、新作動画がぜんぜん再生回数伸びない人、少なからず見かけます。
思うに、チャンネル登録者数というのは国家に例えると国土、つまり領土の大きさみたいなものだと思う。確かに、支配領域が広く人口の多い国は文字通り「大国」として見なされるし、過去の栄光の遺産ではあるのだけど、現在の国力とイコールではない。
日本国の最大版図は第二次世界大戦中、満州から東南アジア一帯を支配した1942年のものになるのだけど、筋金入りの軍国主義者でもない限り、この時代を日本の最盛期、最も幸福だった時代などと考える人はいないでしょう。
実際のところ、企業案件で動画を作る場合、その報酬はチャンネル登録者数に比例するようなのだけど、そもそも、その査定方式自体がどうなのかな?と思う。
これまた余計なお世話になるのだけど、チャンネル登録者数が数十万いっているユーチューバーの案件動画でも、再生回数が2万もいかない…っていうの、ありますよね。
代わりに、ぼくがもっとも重視している指標、それは「1動画あたりの平均再生回数」です。
http://www.tuber-town.com/channel_detail/UCEo77uc6-3OwaxTkQK6g4mg.html
この表は「チューバータウン」というサイトのもので、ぶっちゃけ獲得金額とか年収はまったくのデタラメなんだけど、この「1動画あたりの再生回数」を確認するためだけに、このサイトをチェックしています。
これまで動画を92本以上アップしてきて、その平均の再生回数が8万回を超えている。これは本当にうれしいことです。それだけみられているということです。ありがとうございます<(_ _)>
この「1動画当たりの再生回数」は国家に例えると「国民一人当たりのGDP」つまり、その国の国民の豊かさや生活水準をあらわしているものに相当すると考えています。
上のデータは、ヨーロッパ各国の「一人当たりの」GDPの推移です。緑が濃いほうが生活が豊かな国で、赤が濃いほうが貧しい国と言えます。
一般的にイメージされるヨーロッパの大国と言ったら、ドイツ、イギリス、フランス、ロシアでしょうか?
けど、こうしてみると真に豊かなのはそれら大国よりも、スイスやオランダ、ベルギー、デンマーク、ルクセンブルクといった小国であることがわかります。大国の中でも植民地を除いた本国の面積が最も小さいイギリスが豊かであるのもまた、その通りです。
念のために言うと、「総再生回数」(総生産)よりも「平均再生回数」(生産性)こそがチャンネルの評価として大事だと考えています。「それはない。総再生回数やチャンネル登録者数こそ、チャンネルの実力の証明だ」と普通は考えられているのは承知の上でのことです。
それと同じで、一般的にGDPはその国の国力の指標として使われていると思います。ニュースをよく見る人なら、この「GDP」(国内総生産)はよく耳にするのではないでしょうか?
ぼくも前回のブログ記事でGDPをデータとして用いました。
今現在、日本のGDPは世界3位です。もともと2位だったものが2010年に中国に抜かれました。これから、日本のGDPの世界シェアはジリジリと後退していくのは避けられないでしょう。
けれども、これをもってイコール日本の衰退、国力の弱体とするのは違うと思うのです。
上の図は過去500年の世界の主要地域のGDPの推移です。先ほどのヨーロッパ地図は「一人当たりの」GDPだったのに対し、こちらは「総」です。国家の総力の相対的比較です。
注目していただきたのは、19世紀、1800年から1850年のグラフです。これは多くの人にとって、かなり意外なデータだと思います。
この時代、世界の覇権を握っていたのはイギリスです。産業革命を世界に先駆けて達成し、アヘン戦争で中国を、そして東インド会社を先鋒として広大なインドを植民地化していった頃のものです。
けれども、GDP=国力の指標と考えるならば、まったく矛盾した話になります。当時、イギリスやフランス、ハプスブルク帝国などを含めた今でいうEUに匹敵する西ヨーロッパのGDP合計よりも、中国わずか一国のGDPのほうが上回っていたのだから。
これは歴史をまじめに勉強した人ほど、勘違いしやすいはずです。イギリスというGDPすなわち経済規模で劣る国が、巨大なGDPを誇る中国(清)、インド(ムガール帝国)を侵略し、大英帝国を形成したというのがイメージと真逆の実態なのです。
そして当時の清という中国の王朝にとって「我こそは世界最大最強の最も豊かな大帝国である」というのもまた、嘘偽りない本気の自己評価だったのでしょう。
今でこそ、ぼくたちは歴史という結果を知っているから当時の中国を低く見がちですが、あの時代は西洋人も「正攻法で対峙したら、とても中国には敵わない」と考えていたのかもしれません。
事実、先進国イギリスはGDPで中国にはとても敵わないのはもとより、産業革命後も対中貿易で巨額の赤字を計上し続けていました。だから麻薬であるアヘンを国家ぐるみで密輸するなどという、チートに手を染めたのです。
「いや、イギリスは本国だけで計上すればそうかもしれないが、カナダやオーストラリアといった広大な白人植民地もあったじゃないか」と考える人もいるでしょう。
たしかに、カナダやオーストラリアは地図で見る限り、領土の広い大国ですが、実のところ、カナダの人口は1800年の時点で推定50万人、1850年の時点でも250万人程度と大変少ないものでしかありませんでした。オーストラリアにしても20万人から60万人に過ぎません。
なお、一方の中国は当時から3億、4億もの人口を抱えていました。
けっきょくのところ、人口とか、GDP(=経済規模)とか、地図上の領土の広さといった目に見えるわかりやすい指標ほど、当てにならない。少なくとも、その国の将来の繁栄を保証するものでは何らないということです。
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タイタニック号で撮影された写真は、最後の日々がどんなものだったのかをとらえていた
20世紀初頭。上の写真は映画にもなった悲劇の豪華客船タイタニック号の中にあった、一等船室の客のみが利用できるフィットネスジムの様子です。100年以上昔のものですが、すでに電動の乗馬マシンなるものはあったようです。
この上級国民のみが利用できる最新鋭のフィットネスジムにさりげなく飾られているこの地図。
インド帝国、カナダ、オーストラリア、ケープ植民地(南アフリカ)、西インド諸島が黒く塗りつぶされているあたり、大英帝国の領域を誇っているのでしょう。そして、中国までもが黒線で囲われているあたり、大方かつての獅子、中国も今や我が支配下とでも悦に浸っていたのでしょうか。
この時代まで下ると、イギリスの覇権はより明確になっていました。
今、ぼくたちの生きる21世紀初頭はアメリカの覇権を強く実感します。GAFA(ガーファ)と呼ばれるアメリカの巨大IT企業。すなわち、Google、Apple、Facebook、amazonの4社。
日々、グーグルのサービスで知と情報を得て、iPhoneを使ってインスタグラムをチェックし、アマゾンで買い物をしていると、本当にぼくたちの生活を支配されているなと嫌でも思い知らされます。これら先進分野で日本はもう到底、アメリカや中国には追いつけないのではないかと考えてしまいます。
そもそも、ぼくごときが、こんなことを知りえて、こうして情報発信できるのも、すべてグーグルやマイクロソフトのおかげと言っても過言ではありません。
けれども、もしかして100年後に歴史として21世紀初頭を振り返ったとき、「あの時代こそがアメリカと中国が斜陽に差し掛かった時期だ」という、リアルタイムで生きている者からしたらおよそありえない評価が下されているかもしれない。
今から100年前の20世紀初頭、イギリスは基軸通貨ポンドを持ち、7つの海の制海権を持ち、世界の電信ケーブルの80%を握っていた。
すなわち、工業製品というハードウェアの競争力はアメリカ、ドイツの後塵を拝するようになったが、世界の金融、通信、海運といった情報・物流プラットフォームで圧倒的なシェアをもっていた。なんだ、今のアメリカGAFA帝国とまったく同じ構図じゃないか。
大英帝国を支えた「19世紀のインターネット」 – 『海洋帝国興隆史』 – アゴラ
(1901年の海底ケーブル網 Wikipediaより)
けれどもその後、タイタニック号は沈み、イギリスも沈んだ。
歴史上最大の支配領域、先進情報分野でのプラットフォーム支配、その強さが伝説化していた陸海軍をもってしても、歴史上のどの帝国もたどった衰退の道から逃れることはできなかった。
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数字は正直だと言います。データこそ正義、結果は数字に表れる。けれども数字というのは、ある一定のルールの下で計測されたものに過ぎません。
最近はECI(経済複雑性指標)なるものがあり、これは簡単に言うと、どれだけ高度で真似しがたい希少性の高い製品やサービスを輸出しているかを数値化したものだそうで、なんと日本は2000年以降、16年連続でこのECIで世界一の座にあるそうなのです。
ぼくの好きな歴史に絡めてお話ししましたが、要は一般的に最重要視されているYouTubeの「チャンネル登録者数」もまた極めて一面的な指標でしかなく、何らチャンネルの将来と実力を保証をしてくれるものではないということです。
GDP、支配領域の広さ、経済情報シェアといった各種わかりやすい指標でハイスコアを叩きだした大帝国ほどガンガン次の時代で負けてきたように…
ぼくが最重視している「1動画当たりの再生回数」にしたって一面的な指標でしかありません。本当はYouTubeを学問として研究してくれる人がいれば、もっとそのチャンネルの実力や将来性を数値化できるようになるのかもしれませんが…
もうひとつ、これら見栄えのする数字のワナや歴史から学べることとして、偉大さやメンツ、誇りを守ることを最優先に掲げて動いた国家は、必ず国民一人一人を不幸にするということです。
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チャンネル登録者数や再生回数というのは誇らしく思うものであってはならないのだと思うのです。
もちろん、ぼくだって他のユーチューバーとの数字の比較は気になりますし、良い数字が出たときは誇らしい気持ちになりたいことだってあります。
でも、本当はチャンネル登録者数や再生回数というのは、まず自覚するべきものだと思うのです。
考えてみれば、3万人の登録者、平均8万人の視聴者数ともなると、その中には本当にいろいろな背景と日常を背負った人たちが含まれていてもおかしくないのですから。
昨日みたNHKのネタドリ「貧困から抜け出したい~子ども支援の現場から~」では、両親の離婚から貧困にあえぐ中学生が登場していました。
それに比べると、ぼくは何とまあ恵まれていることだろうとかみ締めると同時に、その中学生のノートを映した映像に胸を打たれました。
少年ジャンプのヒロアカっぽいキャラクターを描いた絵が、なんとまあうまいこと。
リアルがどんなに悲惨でも…いや、悲惨だからこそ二次元、ファンタジーの世界への想いが強くなるのでしょう。
ぼくのゲームの動画をみたところで、リアルが救われるなんてことはありえません。…でも、ひとときの楽しい夢の世界へ逃避したい気持ち。それに答えることならば、少しばかり役に立てるかもしれない。
3万人、8万人の中には、いろいろ事情があってゲームを買えない、でもだからこそ、あこがれの目をもってゲームの動画を楽しみたいという人だって大勢いるはずだ。
…そう、ぼくの画面には数字としてしか表れないだけであって。何の実感もないだけであって…
大勢の、さまざまな背景をもった人に見られていることを自覚し、ぼくは、その数字の向こうにいる見えない誰かに向けて…
これからも楽しく明るい動画を作っていきたいと思います。