失われた「小さな家」
「あなた」という歌をご存知でしょうか?
1973年当時、高校2年生であった小坂明子さんによるフォークソングです。名曲中の名曲なので、ご存知でない方は、まずはじっくりとお聴きいただきたい。
いかがでしたでしょうか?
ぼくはこの70年代のフォークソングなるものがとても好きで、有名なのは「神田川」でしょうか? ほかにも「太陽がくれた季節」「東京」「シクラメンのかほり」「あずさ2号」など、名曲がとても多い。
その特徴は……、まず一聴して「暗い」。
いや、ぼくは今の音楽にはない、その鬱屈したような、そしてまだ貧しさが至る所に残っていたであろう昭和の東京の片隅に、もたれかかったような暗さにひかれているのですが、この「あなた」という曲はちょっと違う。
「もしも私が家を建てたなら、小さな家を建てたでしょう」
そう穏やかに語りかけてくる、この曲の出だし。とっても明るいのです。変ニ長調の、どこかロマンチックで甘い調べ。
しかし元来、暗い音楽を好むはずのぼくが、どうにもこの明るい曲には心惹かれてしまう。
そして、しばらく聴き通して…
…この曲が秘めている、いや、歌い手本人も自覚していないであろう異様な暗さに気が付いた瞬間!
思わず、ゾッとして……、そして涙が頬を伝わるのを感じました。
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高校生の少女が授業中にノートに、ふと書き記した詞から生まれたこの曲。
時は昭和。この素朴でどうにも頭の片隅に残ってしまう「もしも私が家を建てたなら」のフレーズに続く「小さな家」とは、今どきの収納が工夫されている白くて垢ぬけた都市型新築住宅とはだいぶ趣は違うのだろうとは思う。
どうにもわからないのは、この歌に登場する「私」は、なぜ小さな家にあこがれたのか? そして、どうしてそれが当時の人々の共感を得られたのか?
父は指揮者であり編曲家。母はイギリス人とのハーフというのだから、なんとなーく西宮七園の文化的な邸宅で育ったお嬢様であったような気がする。
その甲斐あってか、他の同世代のフォークソングの、寒村から東京下町に出てきた学生が、四畳半の畳の間で鬱屈した日々を送っている貧乏くささとは一線を画した憧憬が、この小坂明子「あなた」の持ち味となっています。
真っ赤なバラ、白いパンジー、小さなドア、ブルーの絨毯、古い暖炉、子犬、手編みのレース…
「あなた」の詞に登場する「小さな家」の数々のパーツは昭和の若者にとって、テレビの向こうのあこがれの生活だった。
ほかの70年代フォークソングが「リアルなぼくたち」であったとすれば、小坂明子「あなた」は、手を伸ばせばもう少しで届きそうな「新しい僕たち」であった。
失恋ソングは古今東西あまたある。小坂明子「あなた」もそのうちの一つに過ぎない。
しかし、当時大ヒットしたと記録されている背景として、自分たちを縛ってきた伝統的な日本の家族像からの解放があったのかもしれない。
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すなわち「小さな家」とは核家族のことなのでしょう。
核家族とは、今の時代では当たり前の、おじいさんやおばあさんとは別の屋根の下で暮らす家族形態を意味します。
サザエさん的な親世帯と子世帯が同居する、プライバシーのない大所帯を伝統的な日本の家族とするならば、小坂明子「あなた」で歌われる「私」と「あなた」の「小さな家」は、核家族=ニューファミリーの手本であった。
洋風の白い家に似合う「真っ赤なバラ」。「ブルーのじゅうたん敷きつめ」たのは、さしずめ日本家屋の必須アイテム・畳(たたみ)への当てつけでしょう。
そして、なるほど昭和の家の幅広い引き戸に比べると、モダンな住宅の玄関はまさしく「小さなドア」だ。
ペットショップで購入する「子犬」も新しい家族像の象徴です。ニューファミリーは決して家畜の鶏の鳴き声で朝、目覚めたりはしない。
「レースを編む」余裕があったということは、当時は女性のキャリアよりも専業主婦になることが、より一般的な幸せとされていたのかもしれない。
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なんのことはない。プライバシーもなく抑圧的である家父長制的な家族像(ようはリアルな磯野家)と決別した、新しい理想の家庭を夢見ていたけど「あなた」は去って行ってしまったという失恋ソングと片付けてしまえば、それまでのことです。
ならばなぜ、この令和の世にあって50年近くも昔のヒットソングが異様な悲しみをたたえているように聴こえるのか?
…それは「小さな家」という一見ささやかな幸せさえ、今の日本人にとってかけがえのない、そしてますます失われていく遠き夢であることに、薄々気づいてしまっているからではないでしょうか。
赤いバラは洒落たフラワーショップで手に入るようになった。気に入ったナチュラルテイストの家具をその場で購入できるカフェだって珍しくない。なんなら部屋の壁紙はその日の気分で好きな色に張り替えたっていいのです。
…けれども「あなた」は? 「あなた」はいったいどこにいってしまったのか?
どんなに物質的にめぐまれても、きらびやかな都会にいて自由で快適な生活をおくれても、「私」は玄関のドアを開ければ…
…「ただいまー」「おかえり」と。
奥の薄暗い台所からにおいと共にコトコトという音が聴こえてきて、寒い家の中でひとつのコタツに家族大勢で肩を寄せあって、手を伸ばせば届くところにミカンが置いてあって…
…そこに本当の「小さな家」があったのだと、いつか思い知らされる日がくるような気がしてならない。
ひとりスマホ越しにSNSで聴く「あなた」が異様な悲しみをもって聴こえるのは、果たしてぼくだけでしょうか?
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2019年も終わりに差し掛かった現代。
たとえ向こう数年の間に今の官製バブルがはじけて未曽有の大恐慌が襲ってこようとも、ぼくたちの生活はより物質的に豊かに、快適に、安全になり、そしてより自由に自分らしく生きられる世の中になっていく流れは変わらないと思う。
将来はAIやロボットがあらゆる富を生産してくれて、量子コンピュータが画期的な新薬などを次々と開発してくれて、人間は働かなくてよくなるという人は大勢いる。ぼくも、ふと「そうなのかもな」と思うこともある。
そして自分の気持ちに妥協することなく、自分の今だけを大切に、自分の好きなものとだけつながって生きていくことができる世界が、すぐ手の届くところに待っていてくれるのも、わりと信じられる未来です。
けれども、その代償はだれも語ってくれない。
女も男も解放され、自分は自分。みんなが少しずつ我慢を持ちよって成り立っていた、かつての美しい時代、美しい国、美しい家…
我慢する人がいなくなる未来。
いったい、そこになにが待ち受けるのか? ぼくにはちょっと想像がつかない。
願わくば、もしもひとりの高校生が「小さな家」を建てたいと願えば、それを叶えられる世であってほしいなと思います。