さすがにどうかと思った…。
東京の夏の猛暑を理由に、いまになって五輪の花形競技であるマラソンと競歩の会場を北海道の札幌に移すという話。
本州の夏の暑さ(日本の場合、単に気温が高いだけでなく湿度も高い)を考えれば仕方がないよなーと思う。現実的な判断だよね。
けれども、ぼくにはこれが五輪の終わりの始まりに思えてならない。
IOC(国際オリンピック委員会)はアリの一穴を開けてしまったな、と。
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考えてみてください。
日本で言えば、夏季五輪を開催できるインフラと財政力をもった大阪と名古屋は、東京に負けず劣らずの蒸し暑さです。
いや、日本に限らず経済発展著しい東南アジアの例えばクアラルンプールにしたって、オイルマネーで潤う中東諸国にしたって、東京をも上回る酷暑、蒸し暑さを誇る。
今回の五輪開催都市でありながら花形のマラソンを召し上げるという措置は、悪しき前例となる。
ぶっちゃけ、東京もマラソンをできないとわかっているのであれば、立候補しなかったのでは?
ぼくはオリンピック中継なるものに特段の思い入れはないけれど、開催都市の観光名所を巡りつつ競技が行われるマラソンこそがハイライトなのは容易に想像がつきます。
また、高額で高倍率なチケットに当選しなくても、その都市の住民が多く沿道で一体感をもって観覧できるという意味においても、やはりマラソンこそは夏季オリンピックの花形であると思う。
街並みの世界配信という宣伝効果においても、市民とイベントの一体感という面においても、やはりマラソンこそがシンボルであり、もっともビジュアル的に映えるでしょうから。
世界の都市は、当然、今回のIOCによる東京への仕打ちをみている。
土壇場になってシンボル競技であり、最もその都市の宣伝効果の上がるマラソンを取り上げるようなことをすれば、東京に近い夏の気候をもった都市は五輪開催都市として手を上げるのをためらうようになるでしょう。
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そもそも、東京の夏の気温、湿度など、IOCは開催都市の選定段階でわかっていたはず。
まさか東京の「晴れる日が多く温暖でアスリート に最適な気候」なんて悪質マンション業者のような売り文句を本気で信じたわけではないでしょう。
東京しかなかったんです。
巨額の開催費用を賄える財政力、成熟したインフラ、社会安定性。
言い方を変えれば、東京はまだ他の手を挙げた都市に比べて「マシ」だった。
しかし、今回の件で巨大なイベントを開催できる能力を持った数少ない都市であるはずの東京ばかりか、それに続く同じ酷暑のアジアの成長都市をも袖にしてしまった。
となると、いったい夏季五輪を今後開催できる都市はどこなのだろう? と調べてみると、案の定、2024年パリ、2028年ロサンゼルスという欧米の大都市でした。
しかもこれも、裏を見てみると、「パリやロスを選んでやった」のではなく、「パリとロスに逃げられたら、もうお終い」と言わんばかりに、2024年の開催候補地決定の際に、唯一残ったパリとロスのどちらも当選にしてしまった。
だって「パリとロサンゼルス以外、みんな辞退してしまった」のだから。
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今回のマラソン会場を東京から札幌に移す報道やネットの反応を見てみると、IOCの上から目線による一方的な決定や、日本関係者の不手際、それどころか「非合理的な判断を押し通そうとした日本の国民性の第二の敗戦」のような論調が見受けられるけども、実態は違うと思う。
ほかならぬIOCにしても苦渋の決断のはず。
これは「アスリートファースト」などと言いながら、欧米のオールドメディアと腐れ縁になっている商業オリンピックが、行きづまりをみせていることの象徴でしょう。
ご存知ない方のために「そもそもなぜ7~8月に開催なのか?」という点に軽く触れると、9月、10月はアメリカでアメフトや野球が最も盛り上がるシーズンだからです。そしてIOCの収入は放映権料が大半を占め、なかでも米NBCが大口のスポンサーだからです。
「なら、マラソンは夏ではなく冬のオリンピックの競技にしちゃえば?」という考えが浮かぶ人もいるでしょうが、すでに述べたように「シンボル」であり「ビジュアル・プロモーション」でもあるマラソンがなくなった夏季五輪に立候補する都市などありはしないでしょう(夏季の開催費用は冬季よりもはるかに巨額)。
また「都市開催に無理がある。サッカーのワールドカップのように国単位の開催にすれば?」との声もあるけど、それも無理な話でしょう。
五輪に含まれる競技は世界的に人気のサッカーと違って、ほとんどがとても収支の上がらないマイナースポーツばかりです。そのための施設を「五輪開催期間のためだけに」整備しなければなりません。
となれば、経済合理性に基づき、「マイナーなものでもこれだけの人口と市場規模があれば、少しはたしなむ人がいるだろう」と思われる大都市にレガシー(遺産)として集中せざるを得ないのは仕方のないところ。
それだけに、今回の東京への仕打ちは本当にいたたまれない。
少なく見積もっても2020・TOKYOには1兆3000億円もの開催費用がかかるそうで。「アスリートファースト」の一言で済む金額なのでしょうか? 警備費用だけでも1600億円!? それだけ金があったらなにができる? そんなにスポーツはエライのか?
なにより、東京でこれまで準備してきた人たち、2013年に決まったときから沿道で声援を送る日を、一流のアスリートを間近で見れる日を楽しみにしていた人たちの想いも踏みにじることになる。
アスリートも一人の人間、そして様々な形でこのビッグイベントに関わる人たちもまた一人の人間です。それでもなお、「アスリートのため」の五輪だというのであれば、もう「アスリートのため」だけに1兆円も5兆円も(ロシアのソチ五輪はかかったらしい)かかるイベントなど終わりにしてしまえ!と思う。
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と、そんなふうに考えていたときに、ふと頭に浮かんだのが東京を舞台にした映画「天気の子」の美しい名シーンたち。
……。オリンピックのマラソン中継などより、よほど東京の景色を美しく、そして色濃く世界中の人の印象に刻むのでは??
さいわいにも、「天気の子」は海外でも好評のようで。
しかも新海誠さんは、東京都に頼まれたわけでもなく、勝手にこのような素晴らしい映画を世界に向けて作ってくれるわけです。いったい、これほどコストパフォーマンスに優れた、都市宣伝媒体がほかにあるでしょうか?
そしてこういう民間の文化的な自発性による発信力こそが、東京本来の強みであり、ソフトパワーなのではないでしょうか?
おそらく今回、東京にオリンピックを誘致しようと懸命だった人、東京に決めた人、そして今になって札幌に移した人。いずれもが、過去のオリンピックの権威とノスタルジーは夢みても、「アニメなど子供のための夢物語」として一蹴する世代の人だったのでしょう。
ネットで各々が興味のあるものをみるのではなく、国民全員が一丸となってお茶の間のテレビで同じものを見て盛り上がる。そんな失われたユートピアを信じて…
いまや日常を生きる一般人の一人一人がフォトグラファーであり、映像配信者となる時代です。
オールドメディア、利権、ハードパワーの象徴ともいえる五輪など、そもそも今の東京には必要ないし、下手な皮算用をしながら招致する必要などもなかったのではないでしょうか?
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しかし、そのようなことは一般市民はみなわかっているのです。わかっていないのは決定権をもった旧世代(あえてそう言わせてもらいます)だけで。
オリンピックのあまりにもバカバカしいほどの巨額の開催費用に、誰も納得しなくなった。ましてやこれからの時代、テロ対策の警備費用もさらにかさんでいくことが見込まれる。
日本ダメ、アジアダメ、中東ダメ。先進国の財政はどこも逼迫していて、市民の意識も高く、目が厳しい。
東京、ドーハと同じく2020年の五輪に立候補した都市のひとつ、イスタンブールのトルコは今なにをしているか? シリアに軍事侵攻しています。
同じく東京と競ったスペインのマドリード。財政悪化、潜在的な経済危機で共通通貨を持つEUを揺るがしています。
世界的な経済、世情不安の中、事実、2032年以降のオリンピックは完全に視界不良でしょう。本当に立候補する都市はなくなるのでは?
そういうときこそ「平和の祭典」を高らかに謳いあげる五輪の本領を発揮して世界平和に、ぜひ貢献していただきたいものですが、おそらくは銃で撃ち合う「eスポーツ」を正式種目に採用して、若者の関心を取り込もうとするぐらいが関の山でしょう。
時が移り、もしIOC(国際オリンピック委員会)が次に東京に開催を打診してきたら、東京はこう言ってやればいいのです。
「けっこうです」、と。